「城下に三つの福が舞う」(CBCテレビ・ドキュメンタリー)

  • 番組名:ダイドードリンコ日本の祭り 「城下に三つの福が舞う」
  • 放送局:CBCテレビ
  • 放送日時:2019年5月25日(土曜)午後1時~同54分

郡上八幡といえば、どうしても「郡上おどり」や「宗祇水」に代表される名水がまず出てきてしまうが、この度本作で鑑賞したこんな見事な春祭りがあったとは、長く放送界に身を置いたものとして恥ずかしながら未知であった。

2003年からダイドードリンコが全国の祭りを応援するという企業ポリシーを掲げ、テレビだけでなく、ウェブサイトやラジオ、新聞、雑誌などメディアミックスを用いてこれまでに400を超えるお祭りを取り上げて来ている。東海エリアでのテレビ番組作りは長くCBCが手がけ、これまでに「多度祭上げ馬神事」「国府宮はだか祭」「津島天王祭」「郡上おどり」「古川起し太鼓」「東栄町花祭り」などを取り上げて来た。

スポンサーの目論見は置くとして、今回は郡上八幡の春祭り(4月20日、21日開催)が取り上げられたのでその感想を綴ってみたいと思う。

「一般的に春まつりは五穀豊穣をあらかじめ祝って豊作を祈願する予祝の行事として行われるものです。本来、神社ごとに祭礼日は異なりますが、郡上八幡の城下町を守護するために創建された岸劔(きしつるぎ)神社、日吉神社、八幡神社の春まつりを戦後、三社合同で行うようになったのが郡上八幡春まつりです。試楽(しがく)と本楽(ほんがく)と呼ばれる2日間、各神社はそれぞれ大神楽の大行列を仕立てて氏子町内を巡行し、辻々で神楽囃子を奏で、獅子舞をはじめとする神楽舞を奉納します。」(HPから抜粋引用)

江戸時代から伝わる由緒あるお祭りである。

番組の全体の印象から先に言ってしまうと、「日本人のメンタリティがくすぐられる映像的、音声的にも優れた番組であり、なにより、人間がきちんと描けていた」のが素晴らしかった。以下に個々について述べてみたい。

まず、番組として土地と祭りを説明しなくてはならないのだが、冒頭当地出身の落語家に枕を付けさせる。ある種飛び道具だが、彼の存在は、後半に伏線となって生きて来る。そしてどの祭りでも同じだが、舞手や囃子手の伝承がある。番組は子供の役割が大きいこの祭りの、三地区それぞれの伝承の様子をフォーカスした人物の取り組みや苦労、周囲の人の目線などを紹介しながら祭りの仕組みと共に紹介していく。1時間番組(実質45分前後)に、子供から大人、外国人、亡くなった人まで実に様々な「この祭り」を背負った人々が登場する。しかし、破綻することなく、情報は必要十分に纏められていて、そこに綴られる人々の心の純粋さが郡上八幡の自然の美しさに共振しているかのような印象すら受けた。つまり構成が上手い、ということだ。

当地の三つの大きな神社の神楽の奉納は、氏子が神社へ参るのでは無く、神楽が氏子宅を回り歩く。獅子舞は各家庭に福をもたらすために舞う。神社へ行けないお年寄りなどには、おかめ、ひょっとこが福をもたらしにやって来る。

本作の優れていた点の一つには、この祭りに関わる人たちの日常の暮らしの中に、八百万の神々の存在がある、ということをさまざまなシーンを通して表現していたところだ(結果論からの深読みかも知れないが)。特に林業に携わるまだ若い男性が木を伐採し、その後に取った態度は、山の神を敬い、恐れていることを如実に示していてた。そうしたこと柄を綴りつつ、皆それぞれが自らの幸せ、家族の息災を願って、この祭りに参加しているんだな、というところを感じさせた。もちろん伝統文化の灯を消してはいけないという強い思いも当然あるのだが、本作ではその点はむしろさり気なく、(今年で祭りを終わる小さな末社もあったこともちゃんと描かれるし、後継者不足に対する悩みにも踏み込んではいるが)主眼は祭りに掛ける人々のそれぞれの「想い」に置かれていて、それがとても心地よかった。

日本人は古来自然の中に神の存在を信じ、敬い、祭りを奉納することにより、感謝と現世利益を願ってきた。奥美濃の山懐に抱かれた城下町には、神社設立の由来はともあれ、まだ美しい日本人のメンタリティが生きていて、人間と自然と民俗芸能が密接に結びつき、そうした暮らしの中で、人と人との間も信じ合い助け合う社会が出来ているのだな、と昨今の殺伐とした世相を思う時、なおさらその思いを強くしたのだった。本作はそんなところにまで思いを致せたチカラを持った番組だった、と私には思えた。

小難しいことを書き連ねたが、私の心にそんな心象を番組を観ているうちに作り上げてくれたのが、郡上八幡の美しい自然と、人々の表情、所作・動作を捉えたカメラワークであり演出であった。1日の中でも朝、昼間、青空、曇り空と変化する光、そして提灯だけがクローズアップされる夜の美しい「道行き」。そんな映像があったればこそ、上記のような感想を素直に持ちえたのだと思う。また、祭りは「音」の存在も重要だ。素朴な音ながら、お囃子は祭りの一方の主役である。その音を美しく確実に捉えた技術、また郡上八幡の「音」にの扱いにも注目した。さらに、映像を組み立てる「編集」のリズムや使う映像の選び方もセンスが良く、現場の空気感が伝わり、観ていて気持ちが良かった。そうしたことの集大成が、視聴者に番組の本質を的確に伝えられる、とすれば本作の出来の良さが自ずと理解できるというものだ。これこそが「映像を持って語らしめる」ということなのだろう。(いささか褒めすぎたか)

ラストに登場してきた吉村作治先生は、この番組のお決まりなので、あえて何も言うまい。(KING)