中京テレビ 土バラ 真夜中のドキュメンタリ―

  • 番組名:真夜中のドキュメンタリ―「バヤルタイ~モンゴル抑留72年越しのさようなら~」
  • 放送局:中京テレビ
  • 放送日時:2019年9月7日(土)25時05分~

モンゴル国立大学を卒業し名古屋大学に留学、中京テレビ報道記者として働くオユウンチメグ・ホンゴルズルさん、愛称ゾーラがディレクションした番組。彼女はモンゴル語も駆使し大横綱・白鳳に国籍について本音を語らせたり、戦争にまつわるモンゴルに伝わる日本語の歌を口ずさんでもらったり彼女ならではの取材魂を持ったディレクター。前回の作品は同枠で「ママががんになった」というタイトルで子どもにまだ若いママが病気をどう伝えるかをテーマに母親の愛、家族の愛を描いた。

今回の主人公は、94歳という高齢で両足が義足にもかかわらず、しっかり人生を歩んでいる友弘正雄さん。満州で終戦を迎えソ連軍によりシベリア鉄道やトラック、そして徒歩でモンゴルに移送され、足は凍傷となり両足を切断した。シベリア抑留は知られているが、モンゴル抑留はあまり知られていない。12000人が抑留され2年後の1947年に帰国できるまでに1600人が亡くなられた。友広さんは仮死状態の中で両足を切断する手術を受け義足もない状態で入院生活を送る中で、捕虜収容病院で治療を受ける戦友から食事や排せつ物の世話を受ける壮絶な体験をする。世話をしてくれた戦友の何人かは収容病院で亡くなったという話は胸にこたえる。

帰国後、神戸で暮らし始めた友弘さんは「自分の代わりに誰かが犠牲になってくれたのではなかったか、自分が厚かましく生き残っている」との念を持ち遺骨収集を願い、モンゴルとの外交が樹立した後の1975年墓参団に参加、以来40回以上モンゴルを訪れ慰霊を行った。また、社会主義体制が崩壊する中で極度の貧困状態だったモンゴルで頻発したマンホールチルドレンに心痛め、1997年日本人が運営する孤児院の設立に参加、閉鎖する2010年までの13年間に路上生活していた子供を85人卒業させた。

その時14歳で今はパン職人として家族を持つ女性が今回の旅でモンゴルにやって来た友弘さんに会いに来た。「暮らしに必要なことを教えてくれた。両足がないのにあれだけできる。勇気をもらって友弘さんと同じように強く生きたいと思った」と友弘さんに感謝を伝えた。「モンゴルであれだけ辛いことがあったのに何故モンゴルの子供たちのために孤児院を作り手助けしたのか?」と友弘さんに問うと「恨みがないと言ったらウソ、でも突き詰めればスターリンであり、社会主義の所為」と語り、手助けした子供がしっかり生活する姿を「良かった」と手を振る。「バヤルタイ」番組タイトルでもある「さよなら」という意味のモンゴル語。そこには「幸せとともにあなたとまた会いたい」という意味が込められているそう。

そして今回のモンゴル旅の一番の目的、慰霊碑のある場所で「友弘は今日をもってモンゴルとお別れします。一緒に日本に帰りましょう!」。高齢のため最後になるモンゴル慰霊の旅。その生きざまは本当に立派で人間力は尊敬に値する。

数日前のテレビの旋風の懇親会で、この番組の話題になった。KINGさんの言う「時制を整えて理解しやすい表現に」という指摘はその通り。その点は中島さんの指摘でもある。

その延長でゾーラの番組の作り方が自分の半径5メートルのところで考えていて私小説的な問題提示で公性が少し弱いという指摘もあった。確かにとも思ったが、自身の問題意識が十分社会性を持っているので僕はそれはそれでいいのだと思う。つくりにはそれぞれ制作者の個性があり、自身の視点がないものよりずっといい。

ただ、番組の中でどうしても語られるべきと思うことが抜けているとも思った。スターリンや社会主義については語ったが、友弘さんが「戦争をどう考えているのか?」という事は語られていない。日本で制作される番組としてはそこは触れられるべきだと思う。友弘さんの活動を家族はどう思っているのか、孤児院まで作るだけの経済力はどうだったのだろう?いくつか知っておくと理解が深まる情報はあったとも思うが、モンゴル国立大学を日本人が建てたという小さな新聞記事から友弘さんの生き方までたどり着いたゾーラの問題意識と粘りを称えたい。

柴垣邦夫