「民意 偽造」と「大名古屋狂詩曲」を観て。(メーテレ&東海テレビ:ドキュメンタリー)

  • 番組名:「民意 偽造」と「大名古屋狂詩曲(ラプソディ) 総理をねらう男と、民主主義」を観て
  • 放送局:メーテレ、東海テレビ
  • 放送日時:「民意偽造」=2021年5月29(金)午前3時35分~、「大名古屋狂詩曲」=同5月30日(日)午後1時30分~2時40分

2019年の「あいちトリエンナーレ 表現の不自由点 その後」に端を発し現在も続いている河村名古屋市長と大村愛知県知事の対立、また大村知事リコール署名名簿の大量偽造事件は最近のこのエリアの最大の政治的な事件であり、関心事である。

一方、毎年5月一杯を期限として「日本民間放送連盟賞東海北陸地区審査会」出品作品が各局から多く放送される。多くの放送時間は未明帯なので、一般の視聴者に向けたものでは無い。「一応、放送の電波には乗せましたから」というアリバイ作りのためだ。(今回の東海テレビの作品のように堂々とした時間に編成してくる番組もある。局の矜持を感じる)また、昨今各局ともYou Tubeなどに公式チャンネルを持ち、そこでの視聴を意識しているようだ。

さて、冒頭の事件について、どの局が番組にしてくるだろうと注目していた。真正面から手を付けたのはメ~テレだった。タイトルも「民意 偽造」とそのものズバリ。この番組では主に事件の中心人物と思われていて、既に地方自治法違反などの疑いで逮捕されている田中孝博リコール団体事務局長にスポットを当てていた。一方、東海テレビはこの春に戦後の名古屋市長としては初の4期目の当選を果たした河村たかし氏に焦点を当てていたが、内容で目立っていたのはやはり選挙戦の争点にもなった「リコール署名偽造事件」だった。

両方の主人公に共通するのがメディア好きであるということ。特に地上波テレビの影響の大きさを信じ切っている節がある。両氏は、各局のカメラの前に積極的に姿を現し、自分を主張する。高須氏もほぼ同様のタイプだ。しかし、自らべらべらと喋る姿を透かして、カメラレンズは冷酷にその人となりを浮き彫りにしてしまう。この点は2つの番組から共通して感じ取ることが出来た一番強い印象だった。(以下かなりの長文になります)

「民意 偽造」では冒頭が既に逮捕を意識し、ホテルなど居場所をクルマで転々としている、そのクルマを運転する田中氏を助手席から撮ったショットだ。「警察に付けられている」という電話の内容が生々しい。番組はほぼ時系列に、田中氏の生い立ちから県議時代、大村氏や河村氏、また高須氏との出会い、そして「署名偽造」の主役になっていくまでを描いていく。中日新聞の大スクープが明らかにしたこの事件の背後が、メ~テレ報道部なりの取材で説明されていく。田中氏の嘘がどんどんとバレていく。悲しいほどに。メ~テレ独自のスクープで見事だったのは、2020年11月にホテルの集計会場で、空のダンボールに「10月30日 完成品(予備)」と書かれていたことに気がついたことだ。このことを問い詰められる田中氏のインタビューは、彼がこれまでかろうじて説明できていた事が嘘だったと気が付かせるのに十分だった。田中氏の目が泳ぐ、どういう言い訳をしたら逃れられるか、画面の田中氏は必死に考えようとしている。嘘が嘘を呼ぶ、決定的なシーンが撮れたと感じた。

「署名偽造」は次第に田中氏主導で行われたことが、事務局にいた人や佐賀でのアルバイトらの証言で明らかにされていく。決定的となったのは右腕と称された山田豪常滑市議が、田中氏からの偽造指示を認め、市議を辞任したことだった。田中氏は「詰み」となった。

彼が次期衆議院選挙から立候補し、国政に打って出るため、高須氏のよしみを得て、リコール署名運動を奇貨として日本維新の会にも近い河村市長の協力も取り付けて選挙を有利に戦おうとしていたことが透けて見えていた。今回の事件のすべてがそこへ収斂していく模様がこの番組が明らかにしていた。田中氏の思いが空回りし、妻も息子も逮捕という事態に、4選を果たした河村氏は「田中氏にチャンスを与えてやった自負はある」「関係ありませんし、私」。高須氏も「どうでもいい事ですよ」。斬って捨てられたのだ。

5月19日田中氏は滞在中の伊豆の旅館で逮捕された。直前までメ~テレのカメラに向かって語っていた。そうした瞬間までカメラに撮らせるとは。もはや開き直ったのか。悪びれた素振りもまったく見せない。

田中氏はなぜ無謀な偽造に手を出してしまったのか。それは国政に打って出たいという野望が狂った形で暴走してしまったとしか思えない。誰が考えても無茶な事だ。86万余の真正の署名が集まらないとリコールは成立しない。田中氏もそこまでは積み上げるのは無理だと感じていたのではないか。ただ、選管は規定数集まらないと開票しない。偽造していようが40万ほどの数字は作ることは出来る。それは民意であるとしてリコールの意義を再度訴え、高須氏や河村氏に恩を売ることが出来る。次の選挙には有利に働く。しかし、まさか選管が全票開票し、調査するとは。さらにそれを警察に告発するとは。田中氏の計算違いだったのだろう。この事件はまだ捜査中であり、裁判も始まっていないから軽々なことは書けないが、ラストシーン、再び車中記者の質問に「オレ、道、間違えてないでしょう」と笑顔さえ浮かべて語る表情が、彼の人となりを現しているようで興味深かった。彼は利用された、というより河村氏が言い出したリコールに高須氏を巻き込んで自ら渦中に飛び込み、自爆したとしか思えないのだ。カメラはその一部始終を淡々と綴っている。

一方、東海テレビが日曜日のピカピカな時間に放送した河村名古屋市長にスポットを当てた番組も、テレビカメラ好きの男の危うさが透けて見えていたように思う。この番組と「民意 偽造」を並べて書くのが適当ではない、と思う方もいるもしれないが、筆者は、この企画の根本にはリコール署名偽造事件が深く関わっていると推察しているので、一緒に書かせて頂くことにした。この番組放送終了後に市長は定例会見で、特に大村知事の言葉で番組を締めくくった点に不満を漏らし、「BPOにどう言うか検討しとります」と語った。

この番組の基本は90歳を超えた在名の女優山田昌さんが徳川家康の遺訓や人生訓を紹介し、河村氏の言動に投影させてみて、「さて、どうか?」と考えさせる仕組みだ。河村氏は若い頃から総理を目指すと語っていた。その気さくさから大衆の人気もあり、衆議院議員ののち、この春、リコール署名偽造騒動を跳ね返し、市長4選を果たしたのだった。しかしその得票は10年前より26万票も減らした。

若い頃のインタビューも出てくるが、ほぼ標準語だ。あのアクの強い名古屋弁を使うようになった辺りから、「河村たかし、とは一体何者なのか」という疑問が湧き上がってくる。この番組では河村氏の歴史を、生い立ちから過去の政治活動、今回の選挙戦と署名偽造問題を中心に70分で見せているが、しかしWikipediaで調べると、その政治の道は実に多彩で、平坦ではなく分かりやすいようで複雑で70分で全容を表現するのは無理だ。リベラルのようでいて、そうでもない発言もあったり、パフォーマンス好きで、本流の保守政治家からは評判が悪い。ただ飾らない「気さくな」人柄は、政治信条を離れて市民の受けは良いのだ。その行き着いた先があの過激な名古屋弁なんだろうか。今回の選挙でも、与野党あわせ既成政党が全部敵対候補を応援する中、票を減らしたとはいえ、勝ち切ったのだから、そのパワーは侮れない。そのパワーはどこから来るのだろうか、また24万票が離れていった原因はどこにあるのかを番組は求めようとした。

真に庶民派政治家なのか、「単なる政治的アイデアマン」なのか、目立ちたがり屋、パフォーマー、ポピュリストなのか、そうなっていってしまったのか。だとすれば何がそうしてしまったのか。

番組では河村氏が最初に市長に当選したときの第一の公約であった「地域委員会」について触れている。「地域のことは地域で解決する」。市民自治の理想であるが、結局それも今は実現していない。番組では理想に燃えていた頃の河村氏が、次第にポピュリストになっていく様子を追っていくように見える。それだからこそ、家康公の言葉が効いてくるという演出。72歳になった河村氏、若き希望、清き野心に燃えていた頃に比べたら…、家康公の言葉は厳しく響く。ラストはこうだ。

「勝つことばかり知りて 負けることを知らねば 害 その身に至る」「己を責めて 人を責めるな」「及ばざるは過ぎたるより 勝れり」

この言葉の後に河村氏はこう語る。選挙というのは一回当選すると止められないと説明し、続けて「政治というのは重い病であって、こうやってテレビカメラ向けられて 古紙屋だったら向けられんわけですよ。 だから非常にスポットライトを浴びた大きな病なんですよ、これ」。

これを受けて番組は山田昌さんが家康の銅像にかぶせて「真面目 真面目 真面目にやらにゃー、あかんよお」と締め括った。

病は治療してもらわなければならないが、この番組を見た限りでは筆者には河村氏は「河村たかし病」という不治の病に罹っている気がする。そうした河村さん(河村氏は自分のことを「さん」づけで語る)にしてみれば、番組終盤の語りかけに対し「わし、真面目にやっとるがね!なにいっとりゃーす!」と言いたくなったのだろう。

お互いに接点を持った2人の男の生きざまといったものを2本ほぼ同時に観せてもらった。片やストレートに。片や演出を加えた企画ものとして。2つの番組、残念ながら1回観ただけでは、ここまでの理解には到達出来なかったと感じた。筆者はそれぞれ2回観て、主要なコメントは紙に書き留めておいた。番組の言いたいところを分かろうとすると、この2人については、かなりの体力知力を要するように感じたのだった。リコール制度は民主政治の重要な制度である。河村氏もかつて市議会解散リコールを成功させている。しかし、今回の偽造事件でリコール制度に大きなキズを付けたことは確実だ。その事に対し、河村氏は何も語らない。(番組も聞いていない)東海テレビ番組HPにあるように「真の民主主義について考え」る作業は筆者にはそこまでだった。

視聴者が一回観ただけで製作者の意図を正しく読み取ることが出来るのか。その人となりを通り一遍で上っ面を撫でただけで終わってしまいやしないか、制作者は悩むだろう。今回の田中事務局長のように背景を含めて比較的分かりやすい人物像が描ける場合もあるが、河村氏のような人物を「真の民主主義」を考えながら制作するのは、そうとう難しいと思う。河村氏が不満を鳴らすのもその辺りに原因の一つがありそうだ。「告発型」ではない「政治家の人物像」をドキュメントするのは、難しいなあ、と改めて感じた。長文にお付き合いありがとうございました。(KING)