- 番組名:「はこぶね」~伊勢湾台風・開拓者の60年~
- 放送局:東海テレビ
- 放送日時:2019年9月29日(日曜)午後1時45分~午後2時50分
在名各局は、伊勢湾台風60周年の今年、さまざまなアングルから特番を放送した。当然の責務であろう。そうした中で一番ハードなドキュメンタリーを制作したのが東海テレビだった。
画竜点睛を欠いたと感じた点が2つ。なぜ「はこぶね」なのか、分かるまで相当時間を費やす。それが制作者の意図であったことは明確だ。見せ方の戦略なのだ。それはそれで東海テレビのやり方(あるいは阿武野Pのやり方)だから自由なのだが、どうも「あざとさ」のほうが先に来てしまう感じなのだ。(筆者がへそ曲がりかも知れないが)
2点目として大体この番組が「鍋田干拓入植者」の苦労話を通して明日の防災を考えさせるもの、というニュアンスを掴むまで短かからぬ時間を要した事。頭の部分が重い。メインタイトルが出るまでのアバンが6分。つかみは奇妙な形をした「復興住宅」である。今は廃墟。そしてそこが「鍋田干拓」であることが語られる。まず鍋田干拓事業を説明、そしてそこを襲った伊勢湾台風の説明へと流していく。ナレーターは同局おなじみの宮本信子だ。
いい感じの流れだな、と思っていたらここで元東海テレビの報道記者が登場、当時開局したてだった同局の頑張った映像と記者の当時の想い出話が挿入される。筆者はここは不要と感じた。金魚の下りはいいとしても、この後、主人公登場に至るまでまだ何人もの同じような年回りの老人が出てくるので、ここは泣いて馬謖を切るべきだったろう。内容はナレーターに任せたほうが締まったのではないか。
取材記者が家々を訪ねまわり「伊勢湾台風の体験者はいませんか?」と聞いて回る。ここでは取材している場所が鍋田干拓地であることの再度のスーパーが欲しかった。
その後、長野からの入植者三浦豁(かつ)さん(91)登場。幼い娘が流された顛末を話す。「眼の前のことを処理しているので精一杯で、涙なんか流している暇はなかった」という言葉に重みと悲しみを感じる。「台風に負けたということではいかんと」鍋田にしがみついて生きてきたとも。
次に遺族会の会長だった荒尾甚一さんという故人が登場する。彼は前妻を台風で亡くしている。彼は再婚後、何度も木曽川に入水自殺をしようとした、という話を未亡人となった後妻さんが語る。ここも重い話だ。
ここで最初のCMが入る。CM明けで本作の主人公、「はこぶね」の意を知る人物、伊東加富(かとみ)さん86歳がやっと登場する。番組が始まってから16分が経過している。ここからが加富さんの物語なのだから、やはりここまでに至る16分は長すぎで番組の重心を欠くと思う。三浦さん、荒尾さんを登場させるなら、その流れで一度、加富さんを登場させておいたらどうだったのだろう。
以降、長野から入植した加富さんの苦労、鍋田干拓周辺の60年の変貌ぶり(更に埋め立てが進み、海岸線が遠くになっている)、しかし海抜ゼロメートル地帯は「台風」だけではなく、「南海トラフ大地震」での津波への恐れも大きいという点、長野から嫁に来てくれた老妻の想い出話、伊勢湾台風からの復興の様子などが綴られていく。
そして「はこぶね」の登場だ。加富さんは、自分の身は自分で守るという伊勢湾台風からの教訓を汲み、「ノアの方舟」のような金属製の避難用カプセルを260万円で買おうという計画をこの10年間考えてきたのだった。伊勢湾台風の目を覆う惨劇を体験してきた加富さんは、3世代7人の命を守るのは、鍋田に生活の場を構えた自分の責任だという。この箇所は番組で一番の見せ所だし、実際唸らされたところだ。
加富さんは弥富市民の防災を自分でワープロソフトで文章を打って作成し、伊勢湾台風記念イベントを民俗資料館で開催してもらった。が、来客はほぼゼロ。家で孫たちに話しても「避難訓練なんてめんどくさい」と言い放つ。加富さんは、「じいちゃんの話していたことがこれか。はこぶねがあって良かったな」とまさかの事態の時に言ってもらえるようにしたいだけだったのだ。そう、思えた。
加富さんは家族会議を開き、温めてきた「はこぶね購入計画」を娘や婿や妻に話す。多くを語らない家族。言い出したら聞かない加富さんの性格を知っている家族は敢えて反対はしないのだった。何もしゃべらず怒ったように席を立った娘さんの話を聴きたかった!
加富さんは今でも台風が接近すると妻から「過剰」とまでいわれるほど気を揉む。それだけ伊勢湾台風の地獄の体験は凄かったのだろう。今や鍋田干拓地の向こうにはコンテナ埠頭がある。加富さんは「このコンテナが浮いて流れてくると思うと・・・」という。彼には伊勢湾台風の「流木」がコンテナに重なるのであろう。
加富さんの人生と考え方を防災とダブらせ、全てを詳らかに喋らせないで、視聴者に想像させる画作り、構成は見事だった。押さえた宮本信子のナレーションも番組にフィットしていたし、贅沢にも本多俊之のオリジナルを採用した音楽も趣旨にマッチしていたのではないか。人は実際に酷いことを体験しないと、その痛みは分からないものだ。正常化バイアス。自分だけは大丈夫だと、皆が思っている。それに警告を鳴らす伊勢湾台風経験者の数はどんどん少なくなっていく。だからこそ、こうした番組の存在は尊いのだ。ただクドいようだが、番組の方向性を惑わせる冒頭部分は何とかならなかったかなあ、と思うのだ。もったいない、と番組の価値を買いつつ筆者はそう思うのだ。(KING)