- 番組名:「根のことの葉 伊勢神宮の森が倉本聰に伝えたこと」
- 放送局:CBCテレビ
- 放送日時:2020年3月28日(土)16時~17時
書くのが遅くなったが、かなりの傑作だ。見ていて興奮した。
僕らテレビ人には憧れの倉本聰さんがこだわる「木の根っこ」について伊勢の森を歩き木々の声を聴いたロケ部分と外宮のせんぐう館で収録したトーク部分の構成。トークには倉本さんと親交の深いさだまさし、阿川佐和子。二人とも知性ある鼎談の達人なので興味深いのだが、番組制作者は倉本さんが神宮の森を歩き気づいた事や、木を描く点描画と倉本さんの想いに重きを置いた。倉本さんはテレビ画面の画素を思わせると言い、木の様々な表情の点描画を時間をかけひたすら描き美しい。85歳とは思えぬ集中力、そして歩きまわる体力。そんなプロセスの中で発せられる倉本さんの指摘や気づきが素晴らしい事なのはもちろんなのだが、もう一つ番組制作者の気構えに僕は感動した。
番組終盤のスタッフロールに「撮影」と「カメラ」があったが、「カメラ」はせんぐう館でのトーク部分のカメラだろうし「撮影」はロケ映像という役割分担だと思う。その「撮影」には増田、佐藤、そして富良野の映像スタッフの名前があった。増田氏は番組ディレクターとも表示され、佐藤氏はプロデューサーである。この番組の肝となるロケ映像をディレクターとプロデューサーが担ったのだ。そしてとても美しい映像、趣旨をよく理解した映像が続いている。
増田氏は昨年の郡上八幡の春祭りを描いた番組「城下に三つの福が舞う」など地域の祭り番組を長年担当してきた制作会社である中日本制作所の代表。「テレビの旋風」の懇親会に来ていただき話を聞かせてもらったが、ネイチャーものにも造詣が深くライフワークとしているとお聞きした。神宮の森の映像はどの映像も滴り美しい。見つけたヤマトナメクジ、クロゲンゴロー、タビガラトビゲラの幼虫、オトシブミ、アスファルトの隙間に咲くスミレなど、どれもしっかり撮れている。もちろん富良野の映像は年月をかけて撮られ美しさが溢れているのだが、それに劣らないほどの映像美だ。ネイチャードキュメントと番組案内に表現されているだけある。
もう一点、スタッフスーパーには「構成」とか「放送作家」の名前がない。ディレクターがほとんどのナレーション原稿をご自身で書いたのだろう。放送作家として巨匠でありウルサ方である倉本さんが番組を見るであろう中で、つくる文章はかなりのプレッシャー。番組タイトルにも「ことの葉」ともある。点描画に添えられた言葉も含蓄ある軽妙な詩である。言葉に重きを置いたこの番組でナレーション原稿ををディレクターが担った。この覚悟が番組全体に流れ、研ぎ澄まされた精神性の高い番組となり、伊勢神宮の森を語るに相応しい番組になったのだと感じる。
倉本、阿川、さださんが番組の中で語られたことに、「人間ファースト」と「人も万物の一つ」という価値観の相反の指摘があった。現代はあまりに「人間ファースト」の世の中になっている。スピードも樹のスピードは変わらないけど人間社会のスピードは急速に早くなってしまった、人間は驕っていないかという指摘。本当にそうですね。ずっしり深く突き刺さった。
ともかく大変な秀作であった。
番組批評ではないが、もう一点課題を書きたい。70周年記念番組なのにもう一つ営業的には成功していないように見えた。同様に先日、土曜の16時に放送した中京テレビの50周年番組「跳べ!工業高校マーチングバンド部」という熱血ドラマも営業は不発だったと推測する。周年番組は採算度外視して良い番組を作るというのは、営業状況が良い時は許されていたが、そうも言っていられないと思う。もっとコンテンツで収入を得る模索をしていくことが急務だ。こんなに良い番組を作る力があるのだから収入を得る手立てを何としても全社的に成立させ、こうした番組をどんどん作るチャンスを持って欲しいと強く思う。無料放送でこれだけのクオリティを持つ番組を出していく事に無理が生まれている。ここをなんとか打開する知恵が地上波を存続させる。それこそが放送局の「木の根っこ」だろう。
柴垣邦夫