「無国籍ブルー」(CTV)と「”存在しない”人たち~無戸籍で生きるということ~」(MBS)

  • 番組名:「無国籍ブルー」
  • 放送局: 中京テレビ 「NNNドキュメント’22」枠
  • 放送日時:2022年12月11日(日)24時55分~25時50分

この番組はローカルで今年の5月に放送されたものが日テレ系ドキュメンタリーネット枠で先日放送され、筆者は初見であったので観させてもらった。またその直後、CBCテレビが18日(日)深夜のドキュメンタリー枠「解放区」で、毎日放送制作(ローカルで昨年8月29日放送=今年の連盟賞テレビ教養部門優秀賞受賞)の表記のタイトルを放送し、内容がほぼ同じだったのでこちらも観てみた。2つの番組を通して感じたことを書いておきたい。

中京テレビの方は無国籍となった母がフィリピン人の男子大学生が主人公で(30分番組)、MBSは奈良市に住む無国籍、無戸籍の人を支援する女性にスポットを当てていた(1時間番組)。古くは進駐軍の、少し昔は「じゃぱゆきさん」、そして現代は労働力を外国に求める時代になっても居留する外国人(難民も)に対して厳しい政策を取り続ける日本政府の法制度の狭間で、生んだ親の事情で自らに落ち度がないのに社会生活に苦労する無国籍者、無戸籍者たちの姿を追った。

MBSの番組では、こうした制度の狭間で苦しむ人を助ける奈良市の自営業の女性の活動を取り上げた。全国どこへでも出かけ、一緒に市役所に行ったり、戸籍を取る、国籍を取る方法を伴走しながら支える。なかなか出来ることではない。ほとんどが手弁当で、遠隔地に長いこと逗留することもある。国の制度を地方自治体がよく理解していなかったり、そもそも、当人がどうしたら戸籍国籍を取れるのかという仕組みを知らない。そうした人たちを支えるのは様々な法律を知らないとならなかったり、時には日弁連に相談するとかして縁もゆかりもない人の苦しみを支える。その無償の行動に心打たれる。

一方中京テレビの番組では1人の大学生が無国籍の状態を自らの手で解決しようと苦労していくさまを追った。この大学生がまた良い青年で、置かれた状況に涙することはあっても決して卑屈になることなく、自らの手で道を切り開こうとする姿に打たれる。結局彼は母の国籍であるフィリピン国籍(一度たりとも行ったことのない国)を取ることが出来るのだが、長い間慣れ親しんできた日本の苗字を捨てなければならなかった。

同様のテーマを違う切り口で切ってみせた2つの番組を観て改めて思うことは、テレビドキュメンタリーの仕事の根本的な役割の一つには社会の谷に落ちた弱者に光を当てることがあるということだ。今回の2本の場合、制度の狭間で苦しんでいる人、生きづらい思いをしている人を世に知らしめたということだ。そしてその背後にある日本の行政の制度上の欠陥を指摘し、それらが改善されることになれば最高だろう。

今もウクライナからの避難民が約2000人いるという。彼ら彼女らが将来日本に定住するかもしれない。現在の暮らしも含め制度上の欠陥は無いだろうか。その他様々な理由で日本に滞在し、暮らしづらい、生きづらいと感じている人々も多いだろう。テレビや新聞はそうした制度上の谷間で苦しむ人々に光を当て、国民に広く知らしめ、行政を動かせる力と義務がある。今話題の宗教二世問題などもそうだろう。そうした問題の掘り起こしは日常の報道の一環にあると感じる。日々の報道にどれだけそうした視点を置くことが出来るか、記者たちへの課題だろう。地味な仕事だ。が、それが自分たちの大きな役割の一つだと経営も含め絶えざる確認作業が必要だ。

知っているつもりでも知らないことは世の中にはゴマンとあるのだ。(KING)