「根のことの葉 伊勢神宮の森が倉本聰に伝えたこと」(CBCテレビ・ドキュメンタリー)

  • 番組名:「根のことの葉 伊勢神宮の森が倉本聰に伝えたこと」(CBC創立70周年記念番組)
  • 放送局:CBCテレビ
  • 放送日時:2020年3月午後4時から5時

普通の人は入ることが許されない神域である伊勢神宮の森にカメラを入れて、そこの自然や空気感(思索性)を長く取材し、国際的受賞番組もものしている中日本制作所がCBC創立70周年を機会に新しいテレビ番組にチャレンジしたネイチャードキュメンタリーだ。監督を務めている増田氏は「自然と人間」をライフワークとしていて、彼がこれまでの取材で積み重ねてきた信条や感性、視座というものが倉本氏の視座と共振し、私にはその主張が強烈に伝わってきた。そして時あたかもコロナ禍で心が荒んでいた時期でもあり、胸が熱くなった。近頃、こんなに説明の少ない、字幕も少ない番組も珍しいが、その分、映像の力、倉本聰氏の点描画と詩の力が説得力を持って強く筆者に迫ってきたのだった。

北海道は富良野に住み、今なお衰えぬ執筆活動を続ける倉本氏は、この番組のために冬を除く3つの季節に伊勢神宮の森に入り、樹々や葉と対話しながら、点描で作画した。そこにはその時に感じた氏の詩が添えられている。

倉本氏は人間が自然に対し不遜になり過ぎたことを警告している。筆者も、例えば近年の温暖化に伴う大雨や洪水、無秩序な開発による土砂崩れなどを見ていると、地球は人間のものだ、と考えている人類が自然から大きなしっぺ返しを受けているように感じている。語弊を恐れずにいえば、今回のコロナ禍にしても、人類がコントロール出来ない顕微鏡レベルのウィルスに対し万能のはずだった人間の無力さが晒されているわけで、もう一度人類は己のあるべき姿、地球全体としての共生のあるべき姿を謙虚に探れとの警告のように思えてならないのだ。「自分(自国・人類)さえ良ければそれで良いのか」と。

伊勢神宮の森は何千年と人間の営みを見つめてきた。今のこの騒動をどう感じているのだろうか。

いささか脱線した。さて、倉本氏と神宮の森の対話は、氏の描く画と、テレビカメラが捉える樹々や葉っぱや虫の映像、そして詩が三位一体となり観ている人に迫る。そこには具体的な説明は全くといって無いが、しかし、画(画像)と倉本氏が森から受け取った「言の葉」は自然の持つ力に変換され、私達に強く語りかけてくるのだった。

ところでこの番組は倉本氏と阿川佐和子氏、さだまさし氏の鼎談との二重構造となっていて、森との会話の部分とのキャッチボールのような塩梅となっている。

神域での老脚本家と森との対話というものだけに固める作りもあったのだろう。だが、敢えてここで優しい(易しい)鼎談を挟むことで倉本氏の語ることを視聴者目線に降ろして考えさせるという狙いを感じた。倉本氏は私も取材させていただいたことがあるが、一見頑固者(頑固だけど)一度波長が合うと実に懐の深い優しい人(というか人間が分かる人)なのだ。倉本聰という作家と神宮の森との対話という形而上的な作りだと視聴者はどうしても敬遠しがちだろう。それは製作者として番組の狙いからは外れると感じたのだ。だから、観念的、抽象的な森との対話を視聴者レベルの視点に整理し、鼎談を挟んで番組化した。その手法はありだと思った。

この番組を観終えて思ったのは、この番組を観ようとする人、観て何かを感じる人が多くなればいいな、そうなれば地球はもっと今より良くなるのに、ということだった。CBC創立70周年を飾るにふさわしい佳作だった。CBCはこの番組をネット番組化、BS番組化、ローカル再放送に取り組んでより多くの人の目に触れるようにしていただきたと願う。監督以下のスタッフの長時間の粘り強い取材に敬意を評したい。(KING)