「検証『トイレットペーパー品薄』報道」(中京テレビ:ドキュメンタリー)

  • 番組名:「検証『トイレットペーパー品薄』報道」(中京テレビ:ドキュメンタリー)
  • 放送局: 中京テレビ
  • 放送日時:2020年9月5日(土曜)25時55分~25分

テレビ局の自浄作業として評価したい番組である。ただし番組の内容から、タイトルに観られるような十分な検証が行われたとは言えず、深堀りが効いた作りではなかったのが残念だった。なかんづく、中京テレビの「トイレットペーパ消える」というニュース取材が全国に先駆けて報道されたスクープであった、という「自慢感」がチラチラと感じてしまったのは僻目であろうか。

筆者も今年初頭コロナ騒動が始まった頃、トイレットペーパーがドラッグストアの店頭から消えた、というニュースについて、冷静である市民もかなり焦っていた様子、そうした報道に対するSNSに対するアオリと沈静化に向けた双方の情報について、苦々しく思っていた。この番組で一番よかったのは視聴者を集めて批判させたことだ。(結局視聴者の意見は言いっ放しとなり今後の報道番組制作の血肉になるという総括はされていなかったのだが。)

中京テレビの報道が全国に波及してしまい、不安を沈静化させるつもりで原稿もそう書いてあったのだが、あのカラの棚の映像のインパクトはオイルショックのトラウマを抱えた国民を不安に陥れるのに十分だった。映像のインパクトを当事者が低く評価していた、さらにこの所いわれる「報道マンの想像力の欠如」から生まれたミスであったろう。慌てたテレビ局は今度はスーパーに山と積まれた商品やこの地区で盛んにロール紙が作られる製紙工場からの中継をいれるなど、懲りたなあ、という対応はしていた。テレビの世界に身を置きながら、人間の情報の8割は目から入ってくる、更にパニック前夜においてはコメントなどは不安を煽る情報しか耳に入らなくなるというエビデンスはあるわけで、それが日々の報道に生きないという局のシステムや普段の教育の不備が指摘されても仕方がないだろう。コロナ騒動だけではなく、どんな事象についてであってもテレビ報道で、この映像が流れたらどういう影響が出るだろうかという想像力を逞しくすることが、昔から報道マンのイロハだったはずだ。最近はそれが出来ていないのか。

最近は地上波テレビで出た誤った情報は間を置かずSNSで拡散してしまう。だからこそ余計に画作りには注意が必要なのだ。それらは会議室に集められた主婦らが誠に的確な指摘をしていた。

番組の冒頭は錦のプロレスバーが誤ったコロナ感染者情報をSNSで流され、そこの経営者が警察に相談にいくところから始まる。そしてCTVの「キャッチ!」のアーカイブを使ったトイレットペーパー騒動の時系列的整理、会議室での視聴者インタビューと続く。

筆者がこの番組で一番感じたのは、報道に関わる生身の人間の声の不足だ。ナレーションで「今後も気をつけていかなくてならない」という綺麗事で終わってほしく無かった。そのニュースを取材した記者、彼・彼女が吊し上げいにしろということではなく、(記事を書いた取材者へのインタビューもマストアイテム)報道デスク、報道部長あたりが、この番組で総括したいことに局側責任者としてコメントすべきだったろう。

期待したが、表層をなぞっただけでインパクトや意義が薄い番組になってしまったのは残念だった。これならデイリーの「キャッチ!」の拡大企画で放送することで十分だったろう。

ちょうどその頃、CBC「チャント!」では東海豪雨当時のCBCの報道番組の避難誘導放送は適切だったかを検証した。「線状降水帯」「バックウォーター」など最近になって使われている言葉がなかったころなのだが、大石キャスターは、「今なら違ったことを言えたと思う」とスタジオで総括コメントを吐いていた。科学と報道のせめぎあいの中でテレビの報道がどのような情報をエリアに提示していくのかは自治体との連携もあろうが、日々の取材を通して「想像力の鍛錬」をしていくしかないのではないか。(KING)