- 番組名:「ハートフルワールド(岐阜・金津園編、岐阜・根尾越波編)」
- 放送局:CBCテレビ
- 放送日時:2023年11月18日、25日(土曜日)午前0時28分~58分
今年の2月に大阪の西成と名古屋・女子大小路に「心温まる話、人を求めて」構成された30分の情報バラエティ「ハートフルワールド」の第2弾が、先月に放送された。ディレクター1人で出会いを求め、掛ける時間を惜しまない、その新鮮な驚きに次作を楽しみしたいというニュアンスの感想を書いた記憶がある。
で、第2弾がいよいよ放送となった。どんなものか楽しみにして2作を鑑賞した。
2つの物語を観終えて、筆者の心に「違和感」が生まれていた。なんだろう、これはと考えているうちに、柴垣、澤田両氏による中京テレビスタッフのインタビューがポスティングされた。これを読んで、私の中に腑に落ちるものがあった。先の違和感に対する答えのようなものだ。
最近、「オモウマい店」的アプローチについて、またその亜種の番組について書くことが多く、「ハートフルワールド」の1,2作の感想の時も、企画のアプローチの原点は相似であろうとの感想を書いた。確かに昨今の地上波バラエティでは、ディレクター1人がカメラを携えてテレビが入りづらい世界や入らなかった世界を訪れ、人と出会うドキュメント風の物が多数観られるようになった。(その路線の真逆を歩んでいる=と筆者は思っている=CBC「デララバ」はどこまで健闘してくれるだろうか)私が今回の「ハートフルワールド」で感じた違和感は、それら全部に通底するものであることに気が付いたのだ。
それは、ディレクターの「気づき」の問題、キツくいえば「質」の問題。あるいは取材に出かける前に取材対象(になるであろう人や場所)についてのプロデューサーとの会話の「質」の問題なのだ。
「ハートフルワールド」に戻ろう。3作目は「岐阜・金津園」を選んだ。確かに普通の番組は行かない場所だ。故に取材対象に出会うまでの苦労は相当なものであったことは分かる。しかし、金津園を選んだ以上そうであろうことは事前に予測出来たはずだ。西成での光景を観てしまっている筆者としては驚きは少ない。そしてソープ嬢たち。苦労して兄弟や病気の親を面倒観ている女性の登場がハイライトだろう。確かに文字通り自分の身を削って家族を助けている状況は感動を誘うのだろう。でもディレクターは「この業界に入ったのは何故」とは訊くが、どうして「他の道を選ばなかったんですか?」と訊かなかったのだろうか。ディレクターが彼女から出る言葉の一つ一つに驚くのは視聴者目線でもあるから、いけない事だとは言わないが、視聴者目線以上の何か、Something elseを聞き出さなければこの手の情報バラエティは心に迫らない。彼女と個人的な会話ができるレベルまで行けて、父親からのDV話を聞き出せたのは良いとしても、筆者には「どうして他の道を考えなかったのか」という問いはマストだと考えた。彼女の家族思いの尊さは認めるとしてもだ。スタジオのヒコロヒーは、「何をいえばいいのか?」というふうだ。スタジオゲストが必要なのか、どうか。必要な何を言わせ、あるいは黙らせることを求めているのか。その辺りが筆者には分からなくなってしまった。
一方、4作目「岐阜・根尾越波編」は、いわゆる「限界集落」のその先の話だ。基本的に人が住まない集落があった。週末や夏の間に、この土地に愛着を持ち、家も土地も手放さない人々がたまにやってくるのだという。ディレクターは丹念にこの土地に来る人を探し話を聴く。異口同音に語るのは「生まれ育った土地への愛情」だ。それは予想外の話ではない。さらに、この根尾越波で土地のお祭りさえ開催されていることを突き止めるのだが、このニュアンスは「ポツンと一軒家」の人間ドキュメントとさも似たりと思えてしまった。確かにそこは「ハートフルワールド」であるのだろう。根尾越波というそんな性格を持つ土地がエリアにあることは新鮮だった。が、それ以上の何だったのだろう。
そこで先に書いた中京テレビのスタッフの話に戻る。彼らの会話で気がつくのは、人間を対象にした取材は食べ物を取り上げている時以上に難しくかつマストな人間観察力。そして視聴者目線以上の現場での研ぎ澄まされた質問力が要求されているのだ、ということだった。絵面(えづら)を飾る演出力ではなく、人間性を見破る観察者、ジャーナリストとしての質問力が求められている。そういう世界のバラエティに足を突っ込んでしまっているということだ。取るに足りない質問をすると視聴者はテレビの向こうで「何を聞いてるんだか。もっと突っ込まんかい!」と舌打ちをするに違いない。ディレクター1人が見知らぬ場所でカメラを回し話を聴くということは、相当高い取材力が要求されることを再確認して頂きたい。現場での取材、質問が足りていないとプロデューサーが感じたら(感じなくてはならない)その部分はプロデューサーが自身で、あるいはディレクターに指示して補わなくてはならない。、もう現場へは行けないのならナレーションで補うなどの手段をとるべきだ。そうした高度な取材技術を要求される領域のバラエティを今多くの放送局は作っているのだということを再確認して頂きたい。そんな感想をまとめた今回の「ハートフルワールド」だった。(KING)