「ハートフルワールド 2024年3月編:CBCテレビ」から思うこと

  • 番組名:「ハートフルワールド」(3月放映の4本)
  • 放送局:CBCテレビ
  • 放送日時:2024年3月2、9、16、23日(土曜日)午後5時~午後5時30分

3月に放送したものを今まで書かなかった(書けなかった)には筆者なりの相応の心の葛藤があったからだ。「ハートフルワールド」は先日昨年度の「JNN協議会賞」エンターテインメント部門で本賞に当たる「協議会賞」を受賞した。(出品作はどの作品かは不明だが、恐らく「金津園」の回かと)CBCテレビは、この他にも番組活動部門では、ここでも感想を書いた”トゥレット症”に関する一連の放送が、「奨励賞」を。報道ドキュメンタリー番組部門では、新型コロナワクチンの副反応の実態に迫った「評価不能 新型コロナワクチンの光と影」が「奨励賞」を受賞している。身内のネットワーク内での表彰とはいえ、硬質なドキュメントを作るTBS系にあってCBCの頑張りは光っていたといえよう。

本題は「ハートフルワールド」だ。受賞は3月だから、それを受けての編成ではないのだが、どちらかというと深夜で、番組の持つテイスト、主張を出したほうが良いと思っていた筆者には、この編成は驚いた。土曜の夕方。なんでだろう。(内容を吟味してみると、3月放送分の方向性が少し変わっているから、それ故の土曜夕方かな)

筆者がこの時期まで感想を書きえなかった大きな理由は、取り上げた題材にある。「クレイジージャーニー」のような極端に振った「見世物」と割り切った(だけではないけど)対象ではなく、いわば社会の吹き溜まり(語弊があったら失礼)で「精一杯生きている」人たちを「テレビをご覧の皆さん、どう観ますか?」と提示しているのか、「こんな人も世の中にいるんですよ」と知らしめているのか、「キワモノ」「珍奇なものの見世物興行」(語弊があったら失礼)なのか、分からなくなってしまったからだ。CBCが同時に受賞した”トゥレット症”もの、ワクチン副作用を追うもの、は番組の社会的意義をしっかりと捉えることが出来るし、どこの報道系ドキュメントも、国や社会から遠いところで苦労しなくてならない人々の存在を知らしめ同時に啓発あるいは励ましを誘発し、更に告発する、という役目を担っている。「ハートフルワールド」が「エンタメ」部門で本賞を受賞したというのが、迷っていた筆者の悩ましさを加速してしまったといえる。

「ハートフルワールド」のような、いわゆるエンタメ系ドキュメントに一抹の不安を感じる。キワモノショーになりやしないか、覗き見根性になりやしないか、制作者の上から目線に陥らないか、制作者は「保見団地の人々」「多摩川・河川敷」のホームレス、「錦三丁目」乳がんママ、「横浜・寿町」の自称絵描き、を観た視聴者に何を感じてほしいと思って作ったのか。これら4本はかつての「尼崎編」「女子大小路編」「金津園編」よりは、だいぶ社会性に焦点がシフトしてきて、かなりマシだとは思うが。(チーフDとPが自ら取材に乗り出したというのは下野Pがそれなりの意図を心得たからと私は思いたいが)

筆者は未だに正解を出せないでいる。この番組は何を言いたいんだろう。「ハートフルワールド」の存在を取材し、視聴者に心温まってくれ、ということか。それなら随分と上から目線ではないか。制作者は取材対象者と常に同じ高さの目線、心情でなくてはならない。これはかなり難しい制作テクニックだ。筆者も引き続きこの番組を観せてもらいつつ、「エンタメ系ドキュメント」の役目は何か、について考えていきたい。ちなみに「ドキュメント風エンタメ番組」(例えば「オモウマ」とか)とは違うのでそのあたりは峻別したい。

長くなってしまうが、もう一つ。「ハートフルワールド」にヒコロヒーは必要か?ということだ。一般論として「エンタメ系ドキュメント」や、情報系ワイドショーにもいえることだが、最近バラエティにはスタジオ出演者をワイプで切り出すことが常識になっている。このワイプ、ときにうざったい。ニーズにきちんと適しているワイプもあるが、大体がうざったい。何でもかんでもワイプを切れば良いというものでは無いと思う。

で、「ハートフルワールド」のヒコロヒーである。VTR中ワイプで顔がずっと晒される。そしてV終わりでスタジオに降りて感想を言う。これは視聴者に対する「番組への思い」の押し売りになってしまっていないか(ワイプ中の彼女の表情も含め)。番組を観る人は、それぞれの立場、ジェンダー、年齢等で感じ方は異なる。社会性を含んだ「ハートフルワールド」のような番組は、感想の押し売りはいらないと思う。しかもスタジオ感想は得てして上から目線になりがちだ。そんな感想は全く不要だ。なぜ視聴者に投げっぱなしに出来ないのか。「こんな感想を持ってもらいたいから、コメントしてもらいました」では、視聴者に感想を誘導し、制作者側の思惑を押し付けることになりはしないか。筆者は個人的に「ハートフルワールド」にはヒコロヒーは要らないと思う。それより取材ディレクターの感想を聞きたい。それではエンタメにならない?いや、「ハートフルワールド」をエンタメで括る必要もなかろう。「教養」「報道」でいいじゃないか。

ちなみに私の大好きなエンタメ系ドキュメント「不夜城はなぜ回る」がある。(TBS系=CBCでも放送していた)。この番組は東野幸治の司会だが、VTR中ワイプは切らない。V終わりでスタジオで感想を述べている。語りはプジョルジョと名乗る担当男性D一人。この番組はエンタメ性と社会性が高次元で両立した佳作だと思う。(終わってしまったが)。もう一つCBC制作の「道との遭遇」も好きなエンタメ系ドキュメントで、ワイプも切るが、適切に乗り降りしている。こうした番組内容に適した演出・編成を期待したい。相当辛いことを言ったが、「ハートフルワールド」はいい番組になる可能性を含んでいると思うからこそ、と容赦願いたい。(KING)