各局独自のアジェンダを示せ(各局夕方ワイド情報番組)

  • 番組名:「各局独自のアジェンダを示せ!~各局夕方情報番組」
  • 放送局:在名各局
  • 放送日時:2019年4月~

「在名テレビ局の夕方自社制作情報番組の『Yahoo!ニュース』化を嘆く!」

この4月にCBCが「ゴゴスマ」に直結する形で、「水戸黄門」の再放送と「イッポウ!」を廃し、新情報番組「チャント!」をスタートさせた。これで中京、メ~テレ、の3局で3時間の情報番組が並んだ。東海テレビのみ1時間遅れの2時間番組となっている。これに相撲と国会中継がなければNHKが絡んできて、以前から云われて久しいた夕方の情報番組戦争は一層苛烈を極めている。

特に3時間になった各局をこの1ヶ月ちょっと観てきて感じたことがある。それは、「報道番組」の体裁が部分的にでも残らずに消えてしまった、ということだ。たとえば「イッポウ!」でいえば18時15分以降の3部といわれているゾーンは「骨太」の報道を掲げ、調査報道など独自報道に力を入れていた。それが、各局そうなのだが、東京や大阪から著名人を呼んできて座らせ、コメントを求める、局ごとの特徴がない「情報番組」となってしまった。「報道番組」あるいや「報道コーナー」はどこへいったのか。あまりにも視聴者に阿っていないか。こうしたことを言うと、「ニーズがあるから」「今のテレビの観られ方を研究した結果だ」という答えが返ってくる。確かに中京では「キャッチトゥデイ」という纏めのコーナーが17時前に設定されている。リアルタイムで発生するものに対する反射神経は良い。(まあそのための生枠だから)だが、各局そうだが、サマリーのコーナーがあっても所謂「その他ニュース」の纏めに過ぎない。

3時間を眺めてみると、外信、国内、地元のニュースを含め、グルメ、旅行、芸能、挑戦モノ、それに対するスタジオコメントと、どの局も大同小異。もちろん地元の事故や事件も取り上げるのだが、ヤワネタの間に挿入されるのでどれが大事なニュースなのか判然としない。

報道機関としての責務に、その日に起きたニュースの重大さを自社で判断し並べ「視聴者の論争(思考の形成)に資する」という「アジェンダ・セッティング」という重要な役目があることを忘れてしまってやしないか。新聞では一面の見出しに何が来るか、あるいは一面全体を眺めると、その日の世の中の出来事の重要さの軽重が、ジャーナリズムを勉強し実践・訓練されて来た記者・解説者により、並べられている。読者はそれを読むことにより、世の中の出来事の「大事なこと」を「大事なこと」として知り、学び、「万機公論に決す」ることに役立て、また自分自身の考え方の確立の栄養に出来るのである。

翻ってテレビ報道のありかたは新聞とはいささか異なる部分もあるので、新聞を真似て良し、では済まないことはメディアの違いから言って理解出来る。素晴らしい映像が撮れればトップに持ってくることあろう。それにしても、最近のテレビ報道はNHKも含め、視聴者に対し、自ら報道機関として見た場合の世の中の大事なことを並べて知らしめるという基本的役割を放棄しているような気がしてならない。「視聴者が観てくれないから」というのは「報道機関の存在理由の放棄」に他ならない。またローカル報道はそんなことをしなくても良い。ネットニュースを見ていれば分かる、という言い訳も聞きたくない。自社報道はエリアの視聴者に対し今日という日をどう切ったか、を示してほしい。もちろん3時間それをやれ、というようなことをいうつもりはない。3時間ないし、2時間の、定時に定量の「今日のアジェンダ」を並べて、教えてほしい。大げさなことをいうが、それこそ民主主義の揺籃なのではないか。若者がスマホの「Yahoo!ニュース」を読んで、世の中の出来事の重要性を量るのことが健全であるとは、到底思えないのだ。(いや、テレビがぼーっとしている間に、訓練されたYahoo!ニュースのほうが、的確なアジェンダを提供してくるかもしれない)ネットが跋扈する世の中に置いて、「自社のアジェンダセッティング」こそ新聞やテレビがネットに対抗できる少ない長所、メリットではないか。

それと3時間ずっとスタジオに東京などの著名人を置いて感想を求めるのは、長くなった尺をスタジオトークで埋めたいという現実的な問題もあろうが、全編情報バラエティ化した感じを受け、CBCで言えば「ゴゴスマ」から「チャント!」まで、ずっと「情報バラエティ」が放送されている感じで、「ニュース」を観ている感じがしない。名古屋のテレビ局は「報道機関」としての役割を辞めたのか?たしかに、「テレビで放送された話題の時間をカウントしてランキングにしてみた」コーナーは有る。それは、決して、自局報道部が頭を捻って考えた「アジェンダ」ではない。むしろそれは視聴者をミスリードする恐れさえある。テレビ視聴者がもっともたくさん見た話題・ニュースが私達の生活で最も重要性を持つ、とは限らないのだ。

多様性の担保やグローバルでの環境保護、不寛容との対決、また大災害への備えなど、大きな問題をたくさん抱える現代だからこそ、視聴者に「自分の頭で考え、自立した価値観を持ってもらいたい」と思うのだ。それでなくても「同調圧力」に弱く、「長いものには巻かれろ」的国民性の日本において、マスメディアの役割の重要な岐路に立たされていると思うのだ。「ローカル」には「ローカル」」の役目があることも十分承知しているが、「報道」はどこへ行った?と思わせる昨今の状況は、歓迎できない。

どうか、在名各局の報道部は自局の「アジェンダ・セッティング」に挑戦してほしい。それが編集長の腕の見せ所なのではないか。国際、国内、地元、全て含め、エリアの人たちに、起きたことの重要性の順番を示して欲しい。

言いたいことを書いたので、反論したい各局報道関係者がいれば是非、ご意見を聞きたい。

(KING)