「伝える’19 ”SING OR DIE”」(CBCテレビ・ドキュメンタリー)

  • 番組名:伝える’19「SING OR DIE」
  • 放送局:CBCテレビ
  • 放送日時:2019年5月27日(月曜)午前2時20分~同3時10分

不思議な手応えのドキュメンタリーを観た。日曜の深夜というか、月曜の未明に放送されたものだから、恐らく今年の連盟賞エントリー候補としてのオンエアだったのだろう。このネタをよく見つけてきたな、と感心すると共に、主役の若い女性二人のロックシンガーが、これまで遭遇したことのないタイプだったので、強い興味を持ちつつも、どう捉えたらいいのか戸惑った。そしてこの二人を深く描き切れているのだろうか、と思いながら観進めた。

一方で、視聴を進めるうちに、この二人を現時点でこれ以上掘り下げることが可能なんだろうか、とも思えてきた。結局1時間の番組で私が理解出来たのは「この二人の居場所はライブにしかなく、そこで絶叫する二人は彼女ら二人の独立した人格として聴衆という理解者を得て絶対的に充実して生きている」ということだった。知らないうちに「ユニーク極まりない幸せの捉え方」に圧倒されていたのかもしれない。

主人公二人の紹介が遅くなってしまった。名古屋出身の女性二人をメインボーカルに据えたハードロックグループに「絶叫する60度」というグループがある。名前すら知らない方が多かろう。もちろん私も知らなかった。しかし、メジャーデビューこそしていないが、「絶叫する60度」はグループ結成以来5年間で1200本ものライブを日本全国で開催してきたライブバンドで、その世界ではかなり名の知れたバンドなのだそうだ。フルアルバムも出している。バンドの名前の由来は船乗りが南半球の海の荒れ具合を示す時に使う緯度を示すもので「吠える40度」「狂う50度」を超えると「絶叫の60度」と称される強烈な嵐のゾーンになる、ということから付けられたそうだ。なかなかカッコいい。

先述のように、メインボーカルの二人が誠にユニークなのだ。「魁( Kai)」は、発達障害、双極性障害、自閉症、社交不安障害という診断を持つ。ライブでハイになると手がつけられなくなるという。もうひとりの「もんてろ」は日本生まれのフィリピン人。国籍故にいじめに合ってきた。人とのコミュニケーションが極めて苦手。この二人のこうした紹介ナレーションにまずガツンとやられた。それは以下のように続く。

二人は結成以来、仲が良くない。(というより波長が合わないと言うべきか)会場入りもバラバラだし、楽屋で口を利くこともない。映像には出ていなかったが恐らくリハや音合わせなどもやらないのだろう。レコーディングでお互いが歌っている歌を聞かない。かと言って喧嘩をしているわけではない。それはそうだ、喧嘩をしていてはグループが保てない。「魁」は「もんてろ」が他人との会話が苦手で一人でいることを好む性格を知っているから、敢えて声を掛けない。「もんてろ」は「魁とは性格が違いすぎるし、興味もない」と語る。終演後はそれぞれバラバラに帰る。「魁」は誰かが側にいないと不安なので、定住せず、移動のクルマが棲家のようになっていてる。「もんてろ」は、一人が好きなのでひと月の半分を「ネットカフェ」に寝泊まりする。そうした事情がナレーションと共にバンドメンバーやプロデューサーのインタビューで語られる。またファンから観た彼女ら二人についての「ぶっとんだ」感想も挿入されていく。

しかし、それぞれをインタビューすると、快活な回答が返ってくる。むしろよく喋る。普通以上にしっかりと対応が出来るし、受け答えやステージMCも普通以上に良く出来ている。そして何より二人が自分の事をしっかりと考えているのに驚く。「もんてろ」も自分のことをしっかり話すのだが、ステージ上でのMCは「魁」の仕事で、「もんてろ」は一切喋らない。「もんてろ」はライブ前のローテーションとして、必ず動物園で猿を観るのだ。彼女は猿たちが「必死に生きようとしている」「平等」な点が好きだという。人間は「めんどくさい」「平等というくせに、ちっとも平等ではない」という。猿を観て心を落ち着かせ、パワーを貰うのだという。そのあたりに「もんてろ」の屈折した人生観が垣間見える。人嫌いの彼女らしいローテーションである。

この不思議な二人を結びつけているのは彼女らが歌う歌でしかない。過激なステージパフォーマンスとハードなビートに乗った、世の中をアジテートする、というようりも、「負けるものか、しぶとく生きてやるぜ」的な、あるいは「純粋な愛」を歌ったメッセージ性の強い歌詞にしか二人の接点はないはずだ。それでもう5年続いているのだから不思議というほかはない。

この番組の見どころは、上記のように「正反対」のキャラクターを持つ二人が「歌」だけを接点として、二人ともそこにだけしか「人生」を見いだせない、見出す必要を感じていない、という不思議な関係。もうひとつは、彼女らのライブに共感して全国から集まるコアなファンが多いという事実だ。例えば出身地名古屋で開催したライブには北海道や九州、実にさまざまな地方から、「絶叫する60度」の熱を貰いにファンが集まってくる。若い人ばかりか、と思うとさにあらず。結構な年配者もいるのだから驚く。そこに通底するのはバンドと客が共振する空間を両者で作り上げることが出来るというパワー。ほとんどの客がおそろいの黒いオリジナルTシャツを着て、腕を突き上げ頭を振り、「絶叫する60度」の音楽と同化し、自分の居所を確認し、或いは自分を縛るものから解放出来る一時を味わい尽くしていく。バンドと客との間には明らかに音楽を通してコミュニケーションが存在している。客はバンドから「何かしら」を得て満足して帰路に付く。メインボーカルの二人にコミュニケーションが殆ど無いのに、バンドと客にはそれがある、というのが実に不思議な感じだ。

とにかくバンドは一年中旅の空だ。何が彼女らを突き動かすのか、といえば、「私らに会いたいという人がいる限りウチらはどこへでも行く」というモチベーションのみ。彼女らにはもっともっと自分たちの音楽を楽しんで欲しい、という欲求がある。今日も二人は、そうしたファンを一人でも多く獲得し,また自分という存在を確固たるものにすべく全国を回っている。二人がステージで付ける「怪傑ゾロ」のようなアイマスクが、彼女らと社会の関係を物語っているように見えた。

ドキュメンタリーのコンクールに出すとなると、「二人が描ききれていない」とか「深みが足りない」という批評が聞こえてきそうだが、心にハンディキャップを負った二人をどう描き切るか、難しい問題だと思う。現場ディレクターは、どこまで突っ込んでインタビューしたらいいのだろうか、悩んだに違いない。本作ではファンも含め彼女らの周辺も取材して、二人のキャラクターを浮かび上がらせようとトライしていた。ドキュメンタリーとしては不思議な立ち位置になるのだろうが、筆者には「心に引っかかりを残す」番組であった。「打算」とか「利害」とか「友情」などという関係を表す既存の概念を突き抜けた二人の存在。不思議を不思議に描いても良いタイプの異質なドキュメンタリーだったのではないか、と思えた。(KING)