「2011・3・11 あの日から10年 関連のテレビ番組を観て」(各局)

  • 番組名:「2011・3・11 あの日から10年 関連のテレビ番組を観て」(各局)
  • 放送局: NHK総合、BS、在名民放各局
  • 放送日時:2021年3月11日以降

あの日、2011年3月11日金曜日午後2時46分から10年が経った。被災者のみなさんにとっては区切りの年とは到底いえないようだ。テレビや新聞で見聞きした限りでは、彼らにとって10年は単に9年の次であり、11年の前に過ぎないということなのだ。

紙幅をお借りして少し私の3.11にお付き合い頂きたい。CBCでは毎月第2金曜日午後3時からは、「番組審議会」が開催される。この日はまさにその日であり、3月はラテで4月改編の説明をする予定になっていた。当時営業を除く報道・制作・技術現場の責任者であった私は、編成局長と役員会議室がある本館4階のエレベーター前で15時の開会を前にぞくぞくと集まってくる番審の先生方をお迎えする態勢で立っていた。14時46分。私は足がよろけてしまう感覚を覚えた。横にいる編成局長に、今揺れた?と聞くと「またまた、先輩、歳ですよ」という言葉が返って来た。しかし、その後、長周期振動による巨大船の中で揺られているような大きなピッチング&ローリングに襲われたのだった。ただならぬ事態に、(名古屋はエリア外であったため緊急地震速報が鳴らなかったと思う)改編説明をする編成局長を現場に帰した。そんな中でも番審は開かれたのだ。私は手元の携帯に付いているワンセグに映し出される大津波の様子に息を飲みながら、また続く余震に驚きつつ改編説明をやり切ったのだった。あの状況の中で番審をやり切った名古屋局の気分が当時の東海地方の代表的な気分だったのだろう。

しかし、発生から10年というのは10進法の世界では一つの句点であることは確かだ。この日を周辺にテレビや新聞のオールドメディアと呼ばれる媒体では、震災10年の過去未来に思いを寄せる特番を例年に増して制作した。民放各局も午後のワイド番組を差し替えて特番を制作。生中継を基軸に観るべき企画ものが並んだ。在名局も南海トラフ巨大地震が叫ばれる中、自分ごととしての放送にチカラを入れていた。ただ、コロナ禍でキャスターが現地に行けないという残念さは残った。例えばCBC「チャント!」では、3.11のその日だけではなく、前後に南海トラフに対する警告を含んだ、暮らしに生きる実質的な企画を放送、健闘していたと思う。大石キャスターは陸前高田を中心に何度も現地に足を運んでいるので、コロナ禍がなければなあ、と切歯扼腕だっただろう。大丈夫、11年目にやれば良いのだ。

在名局は、3.11の教訓を、毎年特集を組むことで免罪符としてはならい。むしろ(毎年特番が組まれているが)来たるべき南海トラフ巨大地震に備え、しつこいくらいの報道が必要と思う。

さて、3.11の10年を記念して作られた多くの特番。その数や質がず抜けていたのはやはりNHKだった。G、E、BS1、BSP、AM、FMから8K まで持てるチャンネルをフル稼働して放送した。一週間はやるつもりなのだろう。その膨大な取材量と取材時間そして放送枠はNHKならでは。その番組の範囲は津波や揺れの被害の検証から、被害弱者に焦点を当てたもの、復興開発に、子供に、女性に、原発に、グルメから音楽・紀行まで、全部10年に引っ掛けて制作していた。ドラマもあった。こういう底力が発揮できるのも、税金が使われている公共放送として当然とはいえ、その物量に切り口の多様性に圧倒される。

筆者も全部は無理だったが数本は観させてもらった。中でも興味深かったのはNHKスペシャル「定点映像 10年の記録 ~100か所のカメラが映した“復興”~」(73分番組)だった。膨大なフッテージ(6000カットという)の中からドラマを見つけてくるだけでも気が遠くなりそうな検証である。しかし、そこに映し出されているのは、紛れもない10年の時の刻印であり、歴史の証人であった。毎年激しく変化する、津波にやられた中心地の復興の姿、片や原発で全村避難となったエリアの、変化のないというかむしろ年々朽ちていく街の様子は、こうした手法でしか比較して明らかに出来ないのだ。スタジオインタビューでチーフを務めたカメラマンが語った言葉が極めて印象的だった。「(被害を)忘れてはならない、といいます。しかし、10年経って思うことは、私たちは忘れてはならない事柄を実はよく知らないのではないでしょうか」。この言葉の裏側に放送局が課せられた課題が横たわっているのだ。

今回10年の節目の特番たちを観て、つくづく思ったのは「政治の不在」「政治の不作為」という事だった。10年経過した今なお4万人の人々が(原発事故により)故郷に帰れない、というのは許されることではない。NHKの作品群は遠回しに言ってもズバリは政治の不在を指摘しない。遠回しに映像やインタビューで語らしめるという形だ。「報道特集」ではキャスターがずばり、政治の不在を指摘していた。こうした直言は民放テレビの役割だろう。復興で目立つのはやはり土木工事。人間が置いてけぼりを食らわされているのがよく分かる。地域コミュニティーも崩壊し元に戻らない現地の人々が「心の復興はまだまだ」と指摘するのは重い意味を持つ。

地震だけではなく、異常気象に伴う大災害や今般のコロナ禍など予測が難しい(というか出来ない)状況が続出する現代。映像のチカラとペンのチカラの可能性はまだまだ追求する価値がある、とオールドメディアを思う今年の3.11であった。(KING)