「ひまわりと登山靴」(東海テレビ・ドキュメンタリー)

  • 番組名:「ひまわりと登山靴」
  • 放送局:東海テレビ
  • 放送日時:2023年12月17日(日曜日)午後1時25分~午後2時55分

2014年9月、58人の死者(と5人の行方不明者)を出した御嶽山噴火。あれから10年目を迎えようとしている年末、犠牲となった我が子との思いを共有したいと過ごした父親の9年間を追ったドキュメンタリーが放送された。東海テレビ編成の好ましいところは、こうしたドキュメンタリーを他局が放送するようなアリバイ作りのため深夜に放送しない(今はYou TubeやTVer、ロキポなど別の伝達方法があるとはいえ)のに比べ、日曜の午後のような家族で観られる時間帯に放送する点だ。地上波局、地元イチバンを謳う局の矜持が見える。制作者も局の姿勢に応えようとするだろう。

この番組を観て、10年という時間の流れが人と番組に何をもたらすのだろうか、という事を考えた。愛知県一宮市の所清和さんは、この事故で息子の祐樹さん(26)を失った。カメラは事故直後からの清和さんに密着し、9年以上に渡り、自分にとって息子はどういう存在だったのか息子の死は、何かを意味するのか、を確認するような彼の日々を追った。時間経過は、事故当日の怒り、悲しみから事態を受け入れ自分なりに納得しようとする父親の苦悩と鎮魂の日々を映し出す。時間の経過は清和さんにとって、50代の自分が60歳を超え、定年退職となって白髪も顔の皺も増えたものの、息子との時間は9年前の事故当日から少しも動いていないと語る。

父親は息子の遺品の潰れたカメラからSDケードを抜き出し画像を観る。そこには自分の知らない息子の姿があった。恋人と登った事故の日の写真。恋人の姿を確認したのもこの写真からで、彼女の両親とは遺体安置所が初対面だった。父親は息子と彼女がデートででかけた日本各地の写真を観て、妻を誘って同じ場所へ行き、同じ服、同じアングル同じポーズで写真を撮ることを始めた。そうすることによって息子の目線でその土地を観て息子は何を思ったのだろう、と知りたかったのだ。写真に映る父と母は、あまり笑顔が無い。むしろ戸惑いのような表情であるのが印象的だ。写真に残された場所は殆ど行き尽くした時、父親は息子の思いは分かったのだろうか、いや「分からない」「自己満足」と彼は言う。だが彼をして、そのような行動に突き動かせたのは、自分が知らなかった亡き息子に少しでも近づきたいという父親の愛情と父であることの証を求めての当然の行為のように思われた。

また彼は亡くなった二人が好きだった、ひまわりを育てる。毎年。そして9年目の昨年祐樹さんと恋人が亡くなった場所への立ち入りが許可され、夫婦は育てたひまわりをもって訪れる。そこで手を合わせることで自分なりの区切りを付けた。そして息子が当時履いていた登山靴を履いて下山する。同じ場所を訪れては写真を撮っていた行動は、ここに昇華されていく。事故に遭遇した息子はヘリで帰ってきているから、自分の靴で下山させたい、と。その靴を仏壇の前に置いて父親の9年間の息子探しと鎮魂の旅は終わりを告げたようだ。

10年近い時間。父親にとって息子の死を受け入れるために最低必要だった時間だろう。息子と恋人が亡くなった場所へ行き手を合わせ、一応の区切りとはしたものの、彼にとって息子への思いは、しかし断ち難く継続していると思われた。このドキュメンタリーにとって10年とは、何だったのだろうか。所さんと15回以上御嶽山に登山したという足立ディレクターは10年間に何を感じたのか。それはタイトルにあるように、「ひまわりと登山靴」に収斂されている、と受け止めた。そこに父親の思いが凝縮されている。

視聴者は番組スタートと共に、所さんと精神状態を共有し、体験しエンディングを迎えられ、カタルシスを得ることが出来る仕掛けとなっている。「とても観心地の良い上質なドキュメンタリーを観たな」という感じを持った。東海テレビは長い時間を掛けて事件や事象、人物を追跡するドキュメンタリーに強みを持っていて、半世紀以上に渡って追い続け、複数回のドキュメンタリーを制作、映画にまでした「名張毒ぶどう酒事件」、ダムに埋没する岐阜・徳山村を追った『約束~日本一のダムが奪うもの~』(2007)などが知られている。本作も東海テレビ報道部の伝統とでもいうべき手法から生み出された一本で、本作で60作目を迎えたという阿武野氏の存在が大きい。彼や土方氏に続く若手が着々と育っていると思いたい。阿武野氏の属人的な人間関係は是非、後輩に繋げてほしい。

同局のドキュメンタリー(というか阿武野作品)にたくさん登場する宮本信子の抑制が効いたナレーションとオリジナル音楽。タイトルに収斂させるプロデューサーの目線はさすが。これまで多数の傑作をものしてきた阿武野・土方コンビのテイスト(重厚さより、独特の軽みを追求した視点とでもいうか)が横溢した佳作である。(KING)