「気持ちの悪い『人流』というコトバ。官製単語に喜々となるな」

  • 番組名:各局報道・情報番組
  • 放送局:各局
  • 放送日時:午後の情報・報道番組

人類が体験したことのない「コロナ禍」。それ故、出てくる単語も新しくなるのは仕方の無いこととは思うが、どうも最近気になることがある。まず「人流(じんりゅう)」という単語だ。コロナ対策を設計する中央官僚が思いつき、専門家会議メンバーや総理、関連大臣が使い始めたと推察出来るが、なんとも気持ちの悪い、嫌悪感を催すコトバだ。単語としてはあるのかもしれないが、人を物と見ている感じで、温かみを全く感じない。第3波の途中までは「人流」なんて単語は出てこなかった。これをマスコミが喜々として使ってる潮流がある。何故「官製単語」を無批判に喜々として使いたがるのか。「人の流れ」で良いではないか。特に話し言葉を使う放送においては、排除しなくてはならない傾向だ。制作現場では何ら抵抗なく使われているのだろうか。

この他にも「発出」「(変異)株」「視野に入れる」「安心安全」などがある。官僚や専門家が使うこうした一見難しくて聞く人を煙に巻くような「権威がありそうでエラそうな」単語は、昔から放送局は喜々として使いたがる恨みがある。警察用語や行政用語もそうだ。記者やキャスター、アナウンサーが偉くなったような気がするのだろうか。視聴者はこうしたコトバから、放送局の上から目線を嗅ぎ取る。そして権力の広報ではないのか、と報道姿勢を危ぶむ。このようなことも引き金となり、やれ「忖度報道」だ「官製報道」だと、報道の信用の失墜に繋がっていくのだ。実際に声を出すキャスターやアナウンサーは、原稿の下読みの段階でおかしいと思ったら声を上げなくてはならない。そしてデスクと議論をすべきだ。現場はナアナアになってはいまいか。放送の情報・報道を担うコトバのプロとして誇りと矜持と責任・緊張を持っていただきたい。

そもそも権力への是々非々、権力へのチェック機関としての自覚があれば、「人流」なんてコトバは絶対に使われないはずだ。インタビューの「ら」抜きのコトバは字幕でほとんど100%是正されているのを見れば、自覚していれば出来るはずなのだ。コロナはしばらく続くだろう。政治家や官僚の訳の分からない発言も続くのだろう。どうか、放送局情報・報道番組は、話し言葉のプロとしての自覚を持って日々の仕事に当たって欲しい。まず、政治家やコメンテーターが「人流」という単語を使ったとしても、引き取るスタジの局アナ、キャスターは「人の流れ」と言い換えることから始めて欲しい。(KING)