クリエイターズ〈中京テレビ 笠井Pと北山D〉こどもディレクター

今回は中京テレビコンテンツ制作局の笠井副部長と北山ディレクターに話を聞かせてもらった。

二人は「オモウマい店」のプロデューサーとディレクターであり、先日放送し話題になった「こどもディレクター」は北山ディレクターが企画、演出。インタビューしたのがたまたま中京テレビOBの澤田さんと僕になったのでいささか身内話の感もあるのはお許し願いたい。

笠井君は東京制作部で全国ネットの深夜枠「スーパーチャンプル」や「フットンダ!」「びっくらこいた箱」の演出を担当、本社制作部で「PS純金」の演出を経て2019年に「PS純金」のプロデューサーになる。中京テレビとしては初のゴールデン枠金曜19時のバラエティ番組として力が入っていた番組である「PS純金」が躍進した大きな一歩の企画は「びっくりや4兄弟」。開店時間から恐ろしく働く4男の英治さんさんを筆頭に個性豊かな4兄弟の姿をつぶさにおさえた映像がなんとも愉快で大人気だった。

この企画の時は「PS純金」も一つの転換期で、「グルメより人に焦点を当てよう」という方針を試行錯誤していた時だそう。そこに「びっくりや」の開店前から待ち続けた当時のディレクターが英治さんが走ってきた普通なら押さえられない象徴的な映像をカメラに収めたところから始まった。そして、「グルメから人に行く」だけでなく「エリアも狭く狭くいこう」というのも当時の市プロデューサーの方針。その二つがうまくはまり数々のヒット企画が続いていく。

北山ディレクターは入社して7年目、ずっと制作部に在籍。「PS純金」の変革期にいたのは大きかったと言う。

笠井副部長いわくVTRが平らになるとよくないのでざらつくように番組を作ることを意識したそう。その手法が「オモウマい店」ではさらに徹底した。

柴)スタートして2年半を経過した「オモウマい店」は評判も高く好調だが、番組批評やSNSの反応とかは気にしている?

北)チェックはしている。どういう風にみられているかな、一般の視聴者の方がSNSでつぶやくのは気持ちが動いた証拠なのでチェックする。

笠)ツイート数は半端でなく「オモウマ」ではピーク時で約20万件のインプレッションがある。

柴)視聴率だけでなく、Tverなどの再生回数も指標になるの?

笠)「オモウマ」はゴールデンタイムなので一番は個人視聴率。

北)単発特番やドラマがTverの再生数やSNSの盛り上がりを見ますね。「こどもディレクター」はいろいろな人から連絡あり、業界の人からのリアクションをもらった。

澤)番組タイトルが「小さい子供がディレクターをする」とイメージされ、一般の人には少し入りづらいかなと心配したが業界の人には新しいことをしているな、冒険しているなと評価があったんではないかな。誰にカメラを渡すとかはどういう尺度で選んだ?

北)足で出会って、この人にカメラを渡したいなというディレクターの判断、意思で決めていた。

柴)取材の時持って行ったカメラは何台?

北)ディレクター一人につき2台。

笠)タイトルに関しては様々な関係者に言われた。

柴)誰でも「子供がディレクターをする番組」とまずは思う。

北)あえてという部分もあって、裏切りとしてこのタイトル。なので漢字にせず、ひらがなで「こども」。小さな子 を想定した大人が自分も「こども」だと気づく意味も込めて。企画書段階では小さな子供をイメージしていたけど。

柴)企画立案で大事にしていたポイントは?

北)以前僕が制作した番組「オカンからの荷物です。」で大家族に取材した時、子供が父親に何気なく聞いた質問「生まれた時はみんな顔一緒じゃない?」に父親は「全然違うよ」と一言。

そこの温度、僕が聞いた時とわが子が聞いたのでは父親が答える温度が全然違って、子供にしか聞けない質問で自分の子供にしか言えない音量だなと思った。

ディレクターとして負けたと思った。そこで子供にしか聞けない事ってあるのかなと思って企画を立てた。

スタッフにテレビ東京出身の上出遼平さんにも加わってもらいミーティング、「スタッフがいないドキュメント」を作るというのがポイントとなった。

柴)北山君は番組内で実際にお母さんに「こどもディレクター」として取材した。発見はあったか?

北)スタジオ収録の4日前に急に取材をやることとなり、その行為の難しさに気付いた。カメラをもってお父さん、お母さんに聞きにくいことを聞いてきてくださいと頼むことのハードルの高さを感じた。

親にカメラを向け、ずっと言えなかったことを聞く。親も覚悟を決めて答える。これをする勇気。本当にドキドキした。母親は何と答えるんだろう?というのが普通のインタビューとは少し違う。取材を終えると不思議に清々しい気持ちになった。大人になって初めて両親と向き合うことがこんなにも緊張するんだな、親は親であの時言えなかった事があるんだなと改めて感じた。

そこに気付いて編集を全部やり直した。もう少しドギマギを描こうかとか、もう一回考え直して、協力してくれたこどもディレクター全員がやってよかったなと思うように最後はしなきゃいけないなという責任感が出た。

当事者になることでよりその人たちの気持ちがわかるから、編集の間とかバックに音楽はかけないようにしようとか緊迫感を大事にした。

入り口の質問と出口の答えが合ってなくてもVTRとして成立しているなら無理に合わせることはないとも思った。

発見はかなりあった。他の子がなんでこんな画角で撮っているんだろうというのは理解できた。カメラ置いちゃうよね、撮れなくていいんだなと、その場の空気が撮れていればいいんだなと思った。

柴)「空気を撮る」というのはいい言葉だね。しかし、そこから編集を直すというのも大変な作業だったね。

北)結構大変だったけどやる意味はあった。

柴)テレビ局からカメラを渡されると一般の方も堂々とディレクターをするもんだね。

北)不思議。カメラでなく携帯だと聞けてないと思うんですよね。

MCで出演してくれた斎藤工さんが「親子ってクリンチ状態で近すぎて身動きできないんだけど、カメラがあると一歩はがしてくれる」とラジオでこの番組のことを言ってくれてた。

柴)北山君が考えている制作ポリシーは?

北)以前笠井Pが言っていた言葉だけど「人を映す(写す)」。撮っているディレクターの人柄や想いが相手からも跳ね返ってきて、それを込々で人を映し(写し)ていく。だからこそ取材対象には人として接していくことが必要。ドキュメントバラエティ、何気ない日常の中にドラマがあるのだと思う。見知らぬひとの見知らぬ話が実は自分の話になるんだなあと。「オモウマ」の店主さんの話を聞いているときに思う。

北山君は当初は「めちゃイケ」のようなゴリゴリのバラエティをやろうと思っていたが、足で泥臭くいくというのが性に合っていたと語る。

柴)ローカル番組と全国ネット番組を作るので違う所はあるの?

笠)一切ないです。「オモウマ」の前にネット単発で「びっくり仰店グランプリ」を作った。いわば「PS純金」のスタイルで全国ネットを勝負しようという時、僕にはキャスティングを豪華にしようとかセットも作るよとか少しビビっていろいろ考えていたが、竹内翔君や加藤優一君という二人のディレクター(現オモウマ総合演出)が全国ネットにビビっていなくてセットは布一枚でいいですと言ってきた。その時何にお金をかけて何に集中投下するかを彼らに教えられた。

北)「仰店」ではセットは無くそうという現場を見てきた。何を大事にするかでいろいろ変わるんだと思った。

笠)名古屋でも全国ネットが作れるんだというのが実感。作っているスタッフがほとんど名古屋にいたので「オモウマ」がスタート好評で話題だった時にあまりそういう情報が入ってこなかったのが良かったかも。

柴)「オモウマ」で店に取材に行きいつもは「中京テレビです」と名乗る時に「日本テレビ系列です」と或るスタッフが名乗ったことがあり、笠井君が「中京テレビと言おう」と注意したと聞いたが?

笠)中京テレビと名乗る目的は二つ。一つは中京テレビを全国の人に知ってもらい、人材のリクルートにも繋げたい。二つ目は名古屋でも全国ネット番組を作れるんだという意味でこのエリアの人に勇気を与えたい。

柴)中京テレビと名乗ることはスマートさはなくなりある意味ごつごつとした作りにもなって良い効果があった。

他にもとめどもなく数々の話題となった。彼らに最近在名他局で印象深かった番組を聞いたら、メ~テレの若きクリエイターが作った「秋山歌謡祭」と口をそろえた。ロバート秋山の大ファンからテレビマンになった篠田ディレクターがメ~テレ60周年企画として企画演出した番組。YouTubeで見てみたが確かに痛快にやり切っていた。

こうして名古屋のテレビマンがお互いに切磋琢磨し、面白い番組作りを刺激的に実践できる環境がさらに増えていくことを祈りたい。

取材させてもらった笠井君、北山君がますます面白い番組や新しいことに挑戦することを期待している。ありがとうございました。

柴垣邦夫